5世紀に入り、百済・新羅の国の力が高まってくると、朝鮮における大和朝廷の勢力は次第に弱まっていきました。
大和朝廷は次々に中国の南朝に朝貢して高い地位を得て、中国の王朝の権威を利用して、衰えていた力を取り戻しました。
倭王武はそのような朝貢の使者を送った倭の五王(讃・珍・済・興・武の5王で日本書紀に記載されている仁徳・反正・允恭・安康・雄略の5人の天皇にあたるといわれています)の最後の1人です。
十分に劣勢の挽回を達せられませんでしたが、朝鮮南部でえた生産技術や鉄資源などによって、大和朝廷の軍事力と経済力は大きくなり、国内を統一しました。
